2020年、突如として私たちの日常に降りかかった新型コロナウイルス。同3月には全国の学校が休校に追い込まれ、人々が集まる公共施設やイベントも閉鎖や中止を余儀なくされると、さまざまな社会活動が停止されました。目まぐるしく多感な時間を過ごすべき子どもたちにとっては衝撃的な日々だったことでしょう。今回は、そんな時代に翻弄されながらも本を読みたい!という渇望からコミュニティを築き上げた熊谷沙羅さんと弟の大輔さんをお招きし、お話を伺いました。
熊谷沙羅:ご紹介にありました熊谷沙羅っていいます。高校2年生17歳になりました。東京の調布市から来ました。調布市の多摩川の近くに住んでいて、河川敷にある大きなけやきの木の下で、毎週日曜日の10時から12時までの2時間「川の図書館」というものを開催しています。毎回持っていくのは800〜1000冊くらいです。Book Swap JAPANとご紹介していただいたのは、この川の図書館だけじゃなくて、全国に、北は青森から南は福岡まで10ヶ所ほどの分館もあるんです。図書館という名前はついているんですが、図書館とは違って、ここの本は無料で持ち帰れて、お家にいらない本があれば持ってきていい。自由に交換できる場所です。土曜の夜、次の日に持っていく1000冊をセレクションするのが私の日課になっています。
突然の休校、図書館の休館。それでも本が読みたい!
―始めたきっかけはなんだったんでしょうか。
沙羅:2020年私が中学1年生、弟が小学校6年生の時に新型コロナウイルスの感染拡大が始まって、3月2日に臨時休校がはじまりました。そこから課題もなく6月までの時間が空いてしまった。私たちは図書館が大好きだったのに、閉まっちゃった。本が家にいっぱいあるわけじゃなくて図書館にすごく頼っていたので、新しい本が読みたくて友達の家の本棚を漁って読んだけど、なんかそれも違う。そして、私たちも困ってるけど、他にも図書館を利用していた人たちも今すごい困ってるんだろうなーと思ったんです。
アメリカとか行くと、リトルフリーライブラリーっていって公園とか図書館の前にリサイクル図書を回すための木の箱が設置してあるんです。対面で会うのが難しい時期だったので、リトルフリーライブラリーが公園にあったら、いろいろな人がアクセスできていいんじゃないかと思った。それで6Pくらいのすごく小さい資料を作って、「こういうのがやりたいんです!」って調布市に持っていったんですけど、1週間後くらいに電話がかかってきてちょっと難しいですと言われてしまった。難しい理由が主に3つありますと。①無人 ②管理する人がいない ③責任を取る人がいない。本の責任もだけど活動自体の責任も取れないよって言われて、13歳でコロナのストレスもあるのにその上、断られたことでムカムカしちゃって、すごい落ち込んだ。
でもうちの母がまたすごい人なんですけど、「ええ!?沙羅なんでそこで止まっちゃうの?」っていうんです。「無人がダメって言うなら人がいればいい話なんじゃないの? 管理する人がいなくて責任取る人もいないんだったら、自分たちでやればいいじゃない!」と。母親の子育て論の話になると別の会が作れちゃうくらいなんですけど、私たち子どもからはもちろんリスペクトしているけれど、親からも子どもに対してのリスペクトを感じる部分があって、自分でも変だなって思うアイデアでもいつも聞いてくれて応援してくれるんです。
そこでもうリトルフリーライブラリーのことは忘れちゃって、じゃあ別の方法はないかな? 本を外に持っていったらリフレッシュできていいな。自然の中に持っていけないかな? とかその日の夜にはもうアイデアでいっぱいになった。
それで近所の人に声をかけて集めた70冊でスタートしたのが、次の週。2020年4月21日になります。最初は臨時休校の期間限定にしようと思っていたんですけど、おじいちゃんだったり子どもたちだったり本当に毎週楽しみにしている方がいらっしゃるので、そこから3年間毎週日曜日に開いています。
本でつながる 訪れる人が支えるコミュニティ
―何人くらいの人が来るんですか?
大輔:最初の頃はコロナもあって外出している人も少なくて、2時間やって15人くらいだったのが、だんだんと常連さんも増えてくるようになって、そこに通りがかった人が重なってくるようになってどんどん大きくなった感じ。今では80〜100人くらいが来るんじゃないかと思います。最近は常連さんもめっちゃいます。
沙羅:これが一番最初に始まるところです。こうやって家族で運んでいます。
こちらが家族です。私と弟とお父さんとお母さんとおばあちゃん。お父さんはベネズエラ人で母も日系人です。おばあちゃんは日本人ですが、ペルーで生まれ育っています。父と母は日本で結婚して、私たちは東京で生まれて日本で育ってきました。家の中では英語とスペイン語と日本語を話しています。
こちらは最初のころから来てくれている藤井さん。始めたときに看板がわりにしていた旗は、当時マスクを作るために100均で買った布にマジックで字をなぞっただけのもので、それにその辺から拾ってきた竹の棒をつけてたんです。それで藤井さんがベニア板を本の形にして絵を描いて看板にしてくれました。これがまさに川の図書館をやっている場所から見える景色。二子玉川や読売ランドの観覧車が見えたりします。
川の図書館は持ち寄ってくれる人が多いですね。本はもちろん音楽とかも。
準備するときは家族でやりますが、片付けはみんなが手伝ってくれます。近くに市が取ってくれている駐車場があってそこまで運んでくれます。
―誰も来ない日とかあるんですか?
沙羅:誰も来なかった日も全然あります! 寒い日とかは1人とか2人とかだったことも。でもそれでも構わない。
最初の話に戻るんですけど、本が読みたいっていう本に対する一種の飢えから始まったので、こんなすごい人が集まるとかメディアが集まるとか人がつながってくとかコミュニティとか一切考えてなかった。本当に自然に作られていった場所だと思ってるんです。居場所っていうのは、これも私の個人的な考えですけど、行かなきゃって思ったらダメで、行ってもいいし、行かなくてもいいっていう選択肢があるもんだと思います。なので1人も来なくても私は大丈夫です。
―やってみてよかったことは?
沙羅:よかったことは、いろんな人が来られること。調布市の平均世帯人数が2人くらいなので一人暮らしの人やお年寄りも多いんです。そういう人たちが活力を絞って、川の図書館に行こうって思って来てくれるのがうれしいですね。うれしい場面は他にもいくつもあって、モチベーションになります。
全国から集まる4000冊の蔵書
―本はどうやって集めるんですか? 持っていかれるばかりになっては困るのでは?
沙羅:私の持論では、減ってもいいじゃんと思ってます。これ100冊持っていきたい!って言われても私は全然構わない。どうぞどうぞって思います。
お家には4000冊くらいの本があります。毎週全国からたくさんの本が送られてくるんで、いろんなジャンルの本があります。来られる方からもそうですけど、マスコミにもけっこう取り上げられたので、そういうのを見てわざわざ送ってくれる人もいます。川の図書館には来たことがなくても定期的に送ってくれる人もいるんです。あとは近くにあるインターナショナルスクールや女子校から寄付していただいたりだとか。いろんなところがありますね。
―毎週持っていく本はどのようにセレクトしているんですか?
沙羅:前の週と同じ本は持っていかないようにしています。あとは話していく中で上がった要望に合った本やジャンルを含めるとか。雑誌が今いっぱいあって、それもその中からセレクションしています。雑誌は本当に多くて、美術、写真、カメラ、子育てとかティーン向けのものも多いです。あと画集も多いですし、絵本はたくさんくるし、すぐなくなる。人気です。
旅する本
―川の図書館はこれからどうなっていくんでしょうか?
そうですねえ。川の図書館のこれからはわからない。この川の図書館がいい感じになった頃、市が断ったことを謝ってきたのね。それから仲良くして、いろいろなアイデアも交換してはいるけれど協力があるわけではない。周りの人も私が大学生になったら海外に行く可能性もあるだろうからと心配してくれるの。でもこれは私が持っているものというよりはもうコミュニティだし、3年間変わらない形でやってきたけど、これからどういう形になるんだろう。とっても迷ってます。他にやってくれる人が現れるのか、調布市にもっと掛け合うのか。私自身は小さい頃から海外で勉強したいという気持ちもあるので「川の図書館」の今後はわからないですね。
それでも、もし海外の大学で学んだとしても、日本は安全な場所だし、いいケアをしてくれたと思っているので、地域、社会のため、いつかは日本のためにも働きたいとも思っています。
本棚はその人の人生だなと思うんです。だけど本もそこにあるだけだとつまらないから旅をして、必要な人に巡っていくといい。本を巡らせるのが大事だと思います。
【プロフィール】
熊谷沙羅 Book Swap Japan代表
2006年東京都生まれ。中学1年生の時、コロナ対策のために突如行われた一斉休校の際に「川の図書館」を発案。近所から集めた70冊から2020年4月にスタート。現在は蔵書4000冊の中から毎回1000冊ほどを選び開催している。北は青森、南は福岡まで全国10ヶ所ほどに分館がある。