未来は意識で創造できる。多様化する社会と、新たなる旅へーファインダー越しに見えた世界からー

ビジネスのヒントを見つけるmeet up Lab。
今回は写真家の山内悠さんをお招きしました。どこか現実離れした不思議な世界観。これは意図的に作られた物ではなく、山内さんが感じた世界でシャッターを切った景色そのものが無作為に現れた写真です。

中学生時代から写真を撮り始めたという山内さんは、大学生の頃からバックパッカーとして写真を撮る旅を続けてきました。卒業後は上京しアシスタントを続け、その後は山と島、大陸への旅に。経済的なことや写真を仕事にすることの難しさなど、時には写真から意識が離れそうになったこともあったといいます。しかし訪れる極地的な場所での体験やさまざまな人との出会いを通じて、自らの存在や写真を撮ることの本質を知り、更にはこの世界と私たちの関係性や構造までも知っていくことになります。

富士山、西表島、モンゴル、屋久島、それぞれの地で受け取ったメッセージを写真集の出版や写真展を通じて発信し続けている山内さん。山内さんからこの世界はどう見えているのか、そしてこの時代を私たちはどう歩んでいけばいいのか、ビジネスの枠を超え生きるためのさまざまなヒントを伺います。

自分の意識が叶えていく

ー 紆余曲折の連続の中で自然と写真から意識が離れることもあったという山内さん。しかし結果的にはやはり写真で解決していきます。決して平坦な道ではなかったと思いますが、どのようなマインドで歩まれてきたのでしょうか。

「自分の行動を意思に沿って動くのか、起こる出来事を読み解きながら行動していくのか、選択を迫られた際にはいろんな選択肢があると思うんですよね。今話したようにこれまでのぼくは起こる事象すべてに身を委ねすぎていたと思いますけれど、自分の意思、どうしたいかも大事だと思うんですよ。なので、起こる出来事を極力俯瞰してそこに自分がどう在るかをみるということはしていますね。現象に対しての自分の反応を探すというか。そこのバランスが一番難しいなとは思います」

ー 具体的にはどのようなことがあり、そのようなマインドになったのでしょうか。

「実は最近弓道を始めたんですけど、弓道って、的を射るためには的に意識を持っていくな!って言われるんです。射よう射ようとするほど当たらなくなる。例えば矢を放つタイミングで自分の意識が働くと必ず矢は的を外します。身体の何処かにその思いが出て力が入り、身体のバランスを崩すのです。ドツボにはまると意識が執着になってしまい、もう、とんでもない所に矢が飛んで行くのです。思考を止めて、力を抜き、外的な要素と内的バランスが整う事が大切なのではないかと感じていますが全然出来ません・・・道場では、五段や六段の方たちですら日々鍛錬されていて、僕なんかはまだ所作や型を習得するまでにも至っておらず、えらいものに手を出してしまったと思っています(笑)。けど、この奥深さは僕のこれまでの旅での気付きや写真行為に通じるところが多いにあり、日常でそのバランスを測れるのではないかと期待するところであります。
とはいえ、今まで本当によくぞやってこられたというのはあります。そのバランスって自分の意思や願望と現実の相違みたいなところにも現れていくというか・・・
例えば、あまり言いたくはないですが、写真は撮るにも見せるにもかなりのお金がかかります。そして作品制作は全て自発的な欲求や願望からの行為なのです。1度訪れた富士山やモンゴルで撮影した写真に奇跡的な世界を見せられ、それを追いかけたくなってしまい・・・あげくの果てにはいつ終わるかわからない、かすかにしか見えない未来に向かって長い長い旅に出ちゃうわけですよ。

こうして、結局モンゴルも5年をかけて10回行きましたが、旅費やフィルム代、帰ってきてからの現像やプリント、さらに展覧会で展示する作品制作と、旅が始まってから数年にわたり作品を発表するまでにトータルで千万円単位のお金が結果的にかかりました。
これらを最初からしっかり計画を立て、準備万端で進んで行けるかっていうと、そういうわけにはいかないですよね。願望はあるけど、現実的に考えると到底無理なバランス感。
けど、毎回、年の初めにいつ行くかだけを決めて、どうなるかわからない中でチケットだけ取るようにしていました。その行動がタイムラインを作ってくれると信じ、それ以外はあまり考えないようにしていました。しかし、結果として毎年滞ることなくモンゴルでの旅を続け、思いもよらない写真が揃い、作品ができた。そして、写真集の出版と展覧会が開催できた。そこにはやはり、自分の意思に伴い起こる現実のバランスがあったからだと思います。これは思考でできることじゃないんですよね。
これまで何だかんだ大変でしたが、自分がボンヤリと感じている結果や行くべき未来に進む必要なものは与えられてきました。失敗談もありますが、ズバリ言ってしまえば、ただそこに立つだけで良くて、その「立つ」という意思が自ずと現実を呼ぶような感覚でしょうか。プロセスはあまり考えず、力を抜いて待つような。経験上、意識し過ぎると執着になり、これまたとんでもない未来に行ってしまうという、弓道と同じです笑」

ー なるほどです。行きたい未来や感じる方向へ進んでいくには、意思と現実のバランスが伴い、力を入れず「立つ」こと・・・ですね。山内さんにはそのベースにいつも写真があったという事ですね。その辺りの関係性はどんな感じでしょうか?

「はい、もちろんそうですね。写真が選択の基準になっていたというか、写真によって導かれたというか・・・ 例えば、この宇宙、世界は多次元です。これら全てを目に見えない大きなエネルギー体として捉え、その全てを一つの身体みたいにイメージしたとします。するとその中で僕たちの在る三次元の此処は指先のような所でありそこに自分の意識や肉体や物質があると考えます。
物理や量子的な観点でこの世界を見て行きますと、物理現象はすべて素粒子のレベルで、そのエネルギーが旋回して形成されています。同時に脳内の意識というのも振動する周波としてエネルギーなので、物質と連動している。故に自分の意識はすべての物理現象とつながっているのです。

ちょっとわかりにくい話かも知れませんが、僕はこのように世界の構造を認識しており、これを証明するような行為として、写真を撮っていると思っています。
自分の意識と目の前の世界が重なり、そのバランスが物理現象として現れる。
それを司る道具がカメラであり、体現してくれるのがまさに写真だと僕は考えています。

今日お話しした極地的な旅先でのさまざまな不可思議な出来事はすべてが写真として現れ、今こうして作品となりました。これらはもう采配のようで、自らの意識で「撮った!作った!」みたいに自負できる感覚は一つもありません。むしろ、自分と世界とのバランスの一致から奇跡的に撮れちゃったというような写真を集約し、それを紡いで解釈し、カタチにして届けていくこと、それが自分の仕事だと思っています。しかし初めからそれを理解していたわけではなく、最近ようやく僕の活動はそういうことだったんだと理解と自覚をするようになりました」 

今、社会が多様化していくことの意味

ー 昨今さまざまなことが世界中で起こり、科学の進歩も目まぐるしく、急速に時代が変容していっていますが、私たちの未来はどこに向かっているのか。その中でビジネスについて感じていることを教えてください。

「僕はこれまでビジネスをしている意識は到底無いに等しいのですが、今こうして写真家として対価を頂き、制作を続け、生きる事が出来ています。その中で思うことは、すべての人は意味があって生まれてきているし、すべての命にそれぞれの役割があって必要なものしかこの世界には存在しないと思っているので、それぞれがそこを見つけていくことがビジネスに置き換えても大前提じゃないかなと思います。自分が何者か気づくことですね。
社会に放り込まれた時に自分が何者として存在しているのかということだと思うんですよ。
それこそが、昨今言われている多様化する社会ということに現れているのではないでしょうか。これまでの社会は一辺倒の情報や教育の中で価値も思想も均一的で、しかもそうでなきゃいけない物でした。しかし現在、情報や教育は多種多様で自ら選べるようになり、自分がどういったものが好きで、どういった情報の中で生きるのか、選択は自由です。故に既にそれぞれが全然違う世界にセパレートされてパラレルになっており、それは加速して行くと思います。例えば隣りで同じ景色を見ていても、見える角度や世界が全然違うみたいな。起こる事象についても同じです。それっていうのはその人が持っているユニバース感だと思うわけですよ。生まれてきてから見てきた世界や、自分はこうありたいというのは全員違うはずですよね。これまでは国家や宗教、文化という大きな範囲の上で世界の認識は多種多様だった。これが今後、個人レベルでもっと細分化されていくと思います。しかし、それが大前提として皆が受け入れる時がすぐにやって来ると思います。それぞれ個々が自分はどういう存在なのか理解した上で、他者の存在も認め合える。個人の持つユニバース感の共有や相互関係で生まれる何かがこれからの新しい価値となっていくはずです。その価値を見出して行ければビジネスにもつながるのではないでしょうか。その時には「善か悪か」という二元論など誰も口にしない世の中になって行くと思います」

ー たしかにそうですね!それぞれが自分自身で在ること、それが価値である社会。素晴らしい未来です!

「そうですね。それもこれも先ほどお話ししたように、自らの意識が物理現象を創造するので、そのような社会を皆が意識すれば自ずとそんな未来は訪れると思います。

実は僕の作品「惑星」はまさにそんなことを言わんとしていて、意識の集合体が時間や空間を形成し、世界がパラレルに現れている様を見せてくれました。「自然」はさらに個人レベルでの内と外の関係性を探った作品になっています。「夜明け」はそれら全てを包括するこの宇宙を・・・
この時代の過渡期の中で、このような作品達が生まれてきたことはどう考えても僕自身の力を超えています。
ぼんやりと受け止めた未来に立ったことでこうして今、僕はこの作品たちに現れているようなユニバースに生きています。
そして、これらをこの社会の中で届けて行くことを仕事とし、更に今はまだ現れていないけど、ぼんやり感じて見えている世界が表現できる新たな体験や見られるような旅が始まることを期待しています。これはまさに自分の行きたい未来への旅ですね」