2016年、諏訪大社秋宮の門前にオープンした二十四節氣神楽は、素材と季節にこだわった日本料理のお店です。店主の武居章彦さんのていねいな仕事とおもてなしは、訪れる人を魅了します。事業継承の断念やコロナ禍など苦しい時期もあったそうですが、ECサイトの開設や新たなお店の開店など常に前を向き新たなステージに立ち続ける武居さん。苦境を乗り越えてきたマインドセットや自分のお店や生まれ育った町にかける思いをお話しいただきました。
大学卒業後、料理の道へ
昭和44年に下諏訪町で生まれ、大学進学で東京へ行きました。中高では陸上やバスケ、大学ではヨット部に所属する体育会系。卒業後、板前の修行を7年弱しまして、帰ってきて旅館を継いだんです。その後二十四氣神楽をオープンし、2023年にはバームクーヘンのお店「結びの木」をオープンしました。
大学ではマーケティングなどを学んでいました。自分の父親がやはり東京の大学に行って、東京の銀行に勤め、その後帰ってきて旅館を継いだんです。ぼくもいずれは帰って旅館を継がなければいけないという気持ちがあって、なんとなく同じように銀行に就職しようと思っていました。
内定が出そうになった会社があったのでゼミの先生に報告をしに行ったら、「武居くん、これからの時代、旅館は料理だと思うんだよ。だから料理を勉強したらどうだろう?」って言うんですよ。今でこそ料理を売りにしている旅館は多いですが、当時は滅多になかった。東京で修行して箔をつけて帰るのもいいかなと思って料理の道に入りました。
元々料理自体は好きでした。昔は土曜日も半日学校がありましたから、帰ってくると自分で簡単なものを作っていましたし、大学生になると人からおいしいといってもらえるのを、とてもうれしいと感じるようになっていました。だからといってまさか仕事にするとは思っていませんでしたね。今でこそ大学を出て料理人になる人もいますけど、当時としては珍しかったんです。
事業継承への葛藤、そして自分の道へ
下諏訪に戻ってきたのは30歳になる少し前です。もっと前から帰ってこないかと打診はあったんですが、東京は刺激的だし楽しくて帰りたくなかった。でも父親の状態があまりよくなくなってきて、お袋に言われて帰る決心をしました。
自信というと烏滸がましいですけど、一通りのことはさせてもらったかなと思ったんです。和食の世界には「親方」「花板」「煮方」という3つの役職があり、その下に「焼き方」「追い回し」と続きます。2軒目のお店に入ったとき、すでにそこそこの年齢だったので焼き方をやれと言われました。その後花板の補助をする脇板、そこから煮方の補助にも就いて、仕事流れを知ることができたと思えた。それで帰ろうと思えたんです。
旅館に戻ってきて、3年くらいは調理場で働きました。ただ調理場に入ってしまうと旅館全体の経営を見ることができなくなってしまうので、途中からマネジメントの方に移ったんです。現場は初めてですし、バブルも弾けて売り上げがどんどん下がっていたので、セミナーなんかにも参加して学んだことを実践しようとしました。でも社長だった父親のやりたいことと反していて、どんどん父親との仲も悪くなっていく。見かねた銀行の人が間に入ってくれて話し合いもしましたが、うまくいかなかったんです。そのとき、一番かわいそうなのはスタッフだなと思ったし、これでは父も母も自分もみんな幸せになれないと思って、旅館からは身を引くことにしました。
それでも下諏訪という町には愛着がありました。小学校のころはこの門前通りにもたくさんのお店があって人がたくさん歩いていて賑やかでした。それがだんだん寂しくなっていくのをなんとかしたいと思っていました。そんなとき町が持っていた物件の借主を募集があると知って立候補しました。家賃も安かったし30社ほどの応募があったそうですが、最終的に選んでいただけた。決め手なんかは聞いていませんが、すぐ近くで生まれ育った地元の人間で、町に対する思いの部分みたいなのがやっぱりあのかなと思います。そして神楽をオープンしました。
コロナ禍をきっかけにECサイト始動
ECサイトも立ち上げました。コロナ禍の時短営業などで、売り上げの確保が難しくなったのがきっかけですね。まずお弁当やテイクアウトを始め、さらにECサイト。ECサイトについては小規模事業者持続化補助金を利用しました。
うちは小さなお店で、15席しかありません。日々の売り上げというのは客単価と席数とでだいたい予想がつきます。でもECには天井がない。そこはECのメリットだと思います。ただお店も銀座の一等地に出せば地代が高いのと同じでECもAmazonとか楽天とかそれなりのところに出すにはお金がかかる。周知にはお金がかかるんです。でもお店を作るよりもはるかに低リスクですね。
コロナが落ち着いた今でも、この「店内での食事」「テイクアウト・お弁当」「ECサイト」の三本柱は変わりません。
「結びの木」プロジェクト なぜバームクーヘンを作ろうと思ったのか
お店にはいろいろなお客さんがみえられます。アレルギーのお客様や小さなお客様。どうしても同じものが食べられない方がいます。みんなで食べられるものを作りたいという思いがありました。
うちの母親は松本市の出身なのですが、松本の洋菓子店マサムラさんのベビーシューが大好きなんです。「これを食べてる時がいちばん幸せ」って毎回言うんですよ。そんな母親の姿を見て、自分もこんなふうに思ってもらいたいと思っていたのかもしれません。みんなで食べられておいしいもの、立地的にもお土産にできるもの。小さい子どもから大人まで親しみがあって、かつ近くのお店とバッティングしないものということでバームクーヘンにいきつきました。バームクーヘンはバーム(樹木)のクーヘン(ケーキ)という意味ですから、諏訪大社の御柱とも結びついてストーリー的にもいいなと思ったんです。
もう一つには製菓というのはレシピさえ作れば、他の人に任せられるのがいいと思ったんです。料理というのは同じ材料でも季節や産地によってばらつきがあって、単純に数値化ができない。それに比べて製菓は分量や時間が科学的に出せる。数値で表せるということは人に伝えられるということですから。
お客さまのひとときに、スタッフの人生に「花を添える」
経営理念というほどのことではないんですが、「花を添える」という言葉を大切にしています。料理やサービス、おもてなしでお客様がお店で過ごす時間に花を添えるのはもちろんなんですが、働いているぼくら自身、ここで働いている時間が人生そのものに花をそえる存在であって欲しいと思っています。仕事というのは当然厳しい部分はあるんですが、まずは楽しい職場であろうと思っています。スタッフはどうしたってぼくの顔色を窺っている面はあると思うんです。だから自分から挨拶やコミュニケーションをとりますし、しょっちゅう冗談も言っています。人を喜ばせよう、相手におもしろく思ってもらおうと思うのは自分も楽しいですからね。スタッフ一人一人がこの店で働けて良かったと思えるようにしたいと思っています。
質疑応答
Q. お店に来られるお客様は観光客の方が多いですか? お店を通してどのように下諏訪町を盛り上げようと思っていますか?
A. 季節にもよりますけど、体感としては7割が観光の方、3割が地元の方ですね。好きな言葉に「一燈照隅」という言葉があるんです。まずは自分で自分の足元を照らす。それを見た周りの人も自分の足元を照らす。そうなることでだんだん地域が光っていくという意味なんですが、まずは自分でできることを精一杯やるというのが大事かと思います。こう思ったきっかけは地域おこし協力隊の方たちなんです。下諏訪以外の人たちが町のためにがんばっているのを見て、生まれ育った僕らががんばらないでどうするんだよという考えが根本にあると思います。
Q. 遠くのお客様に認知してもらうための広告戦略は?
A 広告というと地元の新聞と、SNSのみです。7割が県外のお客様ですとお話ししましたが、地元のお客様にいかに認知してもらうかだと思っています。地元の人の口コミが一番強いと思うんです。だからまずは地元のお客様に認知していただくというのは大事だと思っています。
Q. 飲食店を始めたばかりです。商品を開発するときに、自分の作りたいものを作るか、お客様が望んでいるものを作るか、どちらがいいでしょうか。
A. 悩ましい問題だとは思うんですけど、やっぱりお客様にとってわかりやすいというのはすごく大事だと思います。神楽でも当初のメインは焼きおむすびとお椀のセットを出したんです。それってあんまり他にはないんですよね。そうするとお客様はやっぱり無難なものを選ばれる。
もちろん出したいものを出すのも大事なんですけど、お客さんが何を求めているのかを先に考えた方がよろしいのかなと思う。ある程度信頼が築けていけば出していってもいいと思いますし、ちょっと変わってるんだけど食べてもらいたいものは、うちでは夜のコース料理で出すようにしています。
Q 自分の事業も事業拡大を考えていますが、いろいろな選択肢があって迷っています。どんな方法で「結びの木」を作られましたか?
A 先に事業再構築補助金を使って、そのあとクラウドファンディングをやりました。ただこのクラウドファンディングは資金集めというよりは、将来ECサイトなどで販売していくことを考えてリストが欲しかったんです。うちのクラファンは本当に利益なしでした。
左:企画・コーディネーター 牛山直美さん 右:ゲスト 武居章彦さん
今後もmeet up Labでは、話題の事業や活動の舞台裏を掘り起こしながら、ご自身の活動やビジネスに役立つヒントを探し出せるビジネスネットワーキングイベントとして、継続してまいります。
次回をお楽しみに。